今の自分はからっぽであることを自覚してみる
今、記事を何書こうか考えていました。
ネタはあるのにまとめられないのはからっぽだから?
今の状況。ネタはあるけど、まとめられない。それはなぜなのか考えてみる。からっぽなのはネタではない。ネタは確かに存在しているのだ。
なにがからっぽなのか。それは自分自身ではないかと考えてみる。自分自身がからっぽとはなんなのか。ネタがあっても取り入れられてないことと考えてみる。
そうだ。私はネタを美味しくいただき、消化して栄養満点の肥料を出そうとしている。だけど今は肥料がでてない状況なのだ。なんで肥料が出てこないのか。消化不良をおこしているのだろうか。
消化不良を調べてみた
消化不良とはどういう状況なのか考えてみる。一般的な消化不良とは
1 消化能力が低下し十分な消化が行われなくなること。疲労・暴飲・暴食や有毒物・腐敗物を食べたりすることなどが原因。胃痛・嘔吐(おうと)・下痢(げり)などを起こす。
2 知識などをよく理解できないで、自分のものとして身に付けられないこと。「情報量が多過ぎて消化不良 を起こす」
【出典】
消化不良と聞いて一般的にイメージするのは1である。2を見てみると情報による消化不良のことが書かれている。今、私は情報による消化不良をおこしていることに気づく。ネタを効率よく摂取するために、新しく新鮮なネタを日々追い求めていたのだ。
これを食べ物に置き換えてみる。次から次へと新しい食べ物を追い求めてたらどうなるか。明日はどんな新しい食べ物を食べようと考えていることと一緒ではないのか。
毎日新しい食べ物を探していれば当然次食べるものを探すことに悩む時がくる。そして新しい食べ物を食べたとしてもしっかり味わうことをせずに、次に行ってるからではないのか。急いで食べて、安い食レポで満足して次にいってないか。急いで食べればお腹も痛くなることだってある。
お腹が痛くなると情報はどうなるのか
一般的にお腹が痛くなったらトイレに駆け込む。そしてちゃんとした形で肥料となってでてこない。
情報もそうだ。消化不良をおこすと、ちゃんとした形としてでてこないのだ。これではちゃんとした文として成り立たせることなどできない。
どうすれば消化不良が良くなっているのか思い返す。お腹を温める為に温かいものを取る。お腹を温める行為を情報に置き換えてみるとどうだろう。
情報をインプットして温める。これはどういうことなのか。一旦戻ってみる。お腹を温めて出るときが来るまでお腹にやさしいものを摂取するようになる。
お腹にやさしい情報とはなにか。それはだれでも消化できそうな情報になってくるのではないか。
毎日新しいネタを追い求めず、どうするのか
消化不良を起こしている時は充実した記事を自分からひねり出すのが困難な状況だ。だったら対象を自分ではなく相手に移してみたらどうだろうか。相手のニーズに合わせた記事作りをするのはどうだろうか。消化不良をおこしている間は誰かに奉仕してみることを考えてみる。奉仕とはいったいなんだろう。
1神仏・主君・師などに、つつしんでつかえること。「神に―する」
2利害を離れて国家や社会などのために尽くすこと。「社会に―する」3商人が品物を安く売ること。「特価で御―しております」「―品」
【出典】
奉仕と考えてピンとくるのは2だ。ブログで社会に奉仕するとはいったいなんだろう。現在のこのブログで社会に奉仕できることを考えてもピンとこない。
その答えを見つけるためにブログをやっているのだ。今考えたからといってそうそう見つかるものではない。答えのでない考えはエネルギーを無駄に消費する。悪いクセが出ている。いつのまにか答えを追い求めているのだ。
なんだかんだ言って、気が付けばここまで書いていることに気づく。この記事を一歩下がって眺めてみると既に2個新たな知識を手にいれていたのである。それは「消化不良」と「奉仕」の本当の意味。これで十分だったのだ。
これこそがお腹にやさしい情報収集であり、お腹を温めて出した肥料。効率を考えず思考して手を動かす事こそ現状を打開するカギだったようです。