真の漢になるブログ

~I'll be back man~

現代という迷路に迷ったなら、原始時代の生活から遡って考えてみる

f:id:benriyasuzuki:20160610003849j:plain

原始時代にもし生まれていたならどんな生活を送っているでしょうか。

 

 

衣食住の確保

 
これらを確保するのに、現代はそれほど苦労しなくて済むようになりました。なぜならお金というシステムで現代は成り立っているからです
 
原始時代はこれらを確保する為にひとりで衣食住を用意、又は協力して、それぞれ役割分担で衣班、食班、住班に分かれて得意な分野を任されていたのではないかと想像します。
 
それらを確保する為には時間もかかる事ですし、丸1日費やしていたかもしれません。
 
生きる為に必要な事を毎日のようにやっていた事でしょう。毎日のようにやっていれば効率や楽しみも見出せてきます。
 
生きる為にする事イコール生き甲斐ともとれます。
 

本能欲求

 
人間に備わっている生きたい、知りたい、仲間になりたいという本能は原始時代の人間もあったはず。
「生きたい」の部分を衣食住とすると、それらを効率良く確保する為に協力するようになります。これが「仲間になりたい」という本能。衣食住を確保するうえで何が適しているかを知る事が「知りたい」という本能。
 
現代に例えてみるとどうでしょうか。衣食住が確保出来ている前提で考えましょう。
 
そうすると生きたいという本能が衣食住であるなら衣類、食料、住居はお金を出して買う事で得られます。お金は自分の仕事で得られます。
 
衣食住が賄えるお金があるという事は、衣食住を自ら確保する事と同等の価値を持っている事になります。
 
現代は自分の手で衣類が作れなくても、農業をしなくても、家を建てられなくても、自分の仕事をする事で衣食住が賄えるようになっています。
 
つまり自分に合った仕事で生活ができる。高水準な生活が送れるという事なのです。
 
高水準な生活を送れる環境なのにも関わらず、お金の為だけに働くとか、向いてない仕事を我慢して働くという行為は原始時代の行動と変わらないのではないかと気づきました。

 

これらが確保できたら何をするのか

 
それぞれの生活水準をレベルアップさせるのではないかと思います。
 
衣類は何が肌に合うのか、いい形は何か考える。食料は何が美味しいのかを探す。住居は広くしたり心地よさを求める。
 
原始時代であれば「生きたい」は、人が多くなれば欲しいものを得る為に争いが起きる。「知りたい」は、何をすれば欲求を満たせるのかを知る事。「仲間になりたい」は、うまくいっている所に加わりたくなる。
 
現代であれば「生きたい」は欲しいものを得る為にお金を稼ぐ。「知りたい」はお金を沢山得るにはどうしたらいいか知る。「仲間になりたい」はお金を稼いでいる集団に加わりたくなる。
 
つまり高水準になればなるほど生命の危機からは遠くなり、時間も短縮できますので楽になると言えます。
 

楽になるとどうなるのか

 
楽になるとそれらの確保に時間がかからなくなるので自由な時間が増えます。
 

自由な時間に何をするのか

 
長くなりましたがこれこそ、私達に求められる選択なのです。
 
高水準な生活が成り立っているからこそ到達できる領域である事を自覚しなくてはいけません。
なぜなら高水準で生活する事というのは現代では当たり前になりつつあるからです。
 
この自由な時間を浪費する事もできるし、投資する事もできるのです。あなたならどうしますか。
 

何をしたらいいのか分からなければ確保したものを何か捨ててみるのはどうだろう

 
成功者に多い共通点というのがありまして、衣食住のどれかが欠落している傾向があるという記事を見つけました。
 
成功者は結果的に夢中になりすぎてこうなってしまうパターンだと思うのです。
 
では自ら手放すことから始めたらどうなるのでしょうか。はたして夢中になる事は出来るのでしょうか。私には衣食住を手放す勇気はまだありませんが、少し自信を持てる様になったなら実家を離れる事を考えています。
 
つまり人間は生活が安定してしまうと現状維持からなかなか抜け出せないのではと考えます。
 
自ら行動を起こさないと成功を得る事は難しいのが現代の特徴と言ってもいいでしょう。
 
成功とはなんでしょうか。何の為に成功するのでしょうか。それは殆どの方が幸せになる為と答えるでしょう。
 
では幸せとは何でしょうか。私が思う幸せとは目標を成し遂げた結果ではなく、毎日が充実している事だと思うのです。あなたにとって幸せは何ですか。